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特集記事アーカイヴ Issue 2004.7-8

伝わる「コトバ」

text: 長谷川博史/ベアリーヌ・ド・ピンク

アーティストになりたい人がいる。ミュージシャンを目指す人もいる。パフォーマーに憧れる人もいる。小説家になりたい人も、映像作家になりたい人も、写真家になりたい人もいる。最近やたらと“表現者”になりたい人が多い。

若い頃の僕は詩人になりたかった。僕の詩は身内ウケが良く、もしかしたら自分はいっぱしの詩人になれるかもしれないと自惚れてもいた。だけど、26歳になった年のある日、深夜から自分が書き溜めた原稿を読み返して翌日の朝にはすべて破り捨てた。だって、みーんな嘘っぱちの言葉だらけで、「詩人」気取りの自分がやたら鼻に付いたんだ。

それでも僕は広告のコピーを書いたり、雑誌の編集をしたり、あいかわらず「コトバ」との関わりを捨てきれないでいた(他人のための「コトバ」を考えたり、他人の「コトバ」を読むのが大嫌いなくせにね)。そのうち企画書や計画書なんて味気ない文章を書くのがミョーに上手くなって、グラムあたりナンボで企画書を売る胡散臭い人間になっていたんだ。そうなると、もう「コトバ」に対するこだわりも消え、次第に「コトバ」への思いさえ希薄になっていった。

そんな生活に流されて13年が過ぎた時、僕は自分がHIV(エイズウィルス)に感染していることを知り10ヶ月ほど仕事を放り出して引きこもった。飯のタネが尽きて、仕方なく仕事を探し始めた頃、ありがたいことに友人からゲイ雑誌を創刊するので手伝ってくれと言う話が持ち込まれた。当時日本に300人もいなかった性感染によるHIV陽性者の一人であった僕は、そこで何かを伝えることが出来るかもしれないと思った。

こうしてゲイ業界を活発に動き回るようになった僕は、クラブで女装をしてパフォーマンスをするドラァグクィーンたちと出会ったんだ。すべてがそうじゃないんだが、僕が出会ったドラァグクィーンたちの表現には明確な意思があって、力強く、楽しくて、それでいてどこか切なくて、とっても詩的だった。

ドラァグクィーンのショーは自分たちが憧れる女性歌手の歌に合わせて口パクをするのが基本。ところが、それを芸として見せるためにはそれなりのアイデアと血の出るような(?)練習が必要で、生来の怠け者である僕には不向きだった。

それでも僕には伝えたい事があった。それは当時ゲイの中でもあまり意識されていなかったHIVのこと。

僕は1997年から2000年まで、年に何度か「ピンクベア・カフェ」というパーティを主催した。僕(ピンクベア)がホストとなって「徹子の部屋」よろしくゲストを向かえセックスやセクシュアリティ、HIV/エイズをテーマにしたトークショーを中心にしたイベントだった。もちろん僕の大好きなドラァグクィーンたちにも毎回出演してもらった。やがて僕も見よう見まねで女装してショーをやるようになり、本邦最高齢のドラァグクィーンとなった。

客層は新宿2丁目のゲイを中心に、しかしセクシュアリティにはこだわらず、レズビアン、トランスジェンダー、ヘテロ(異性愛)の男女、年齢層も9歳から60歳代まで、職業も公務員、会社員、主婦、アーティスト、セックスワーカー、学生、作家、ジャーナリスト、エイズ活動家と多彩だった。

露悪はゲイの得意とする表現スタイルだ。幼い頃から哄われ続けてきた自分の中にある女性性を過剰なまでに表現するドラァグクィーンという様式もその影響を多分に受けているんだと思う。自分がそんな露悪趣味をもつゲイであることを知ってか知らずか、僕はHIV感染を知ったその翌年からエイズに関する講演活動を始めていた。そしてピンクベア・カフェでは、まるで水が低きに流れるがごとく自然に女装を始めていた。

初めは他のドラァグクィーン同様に口パクのショーをやっていたものの、すぐさまネタは尽き、練習不足のパフォーマンスでは伝わるものも伝わらない。そこで、昔書いていた現代詩のスタイルを借り、リーディングと言うパフォーマンスで楽しませながらメッセージを伝えることにした。これが僕のパフォーマンス“ヨゴレ系女装”ベアリーヌ・ド・ピンクによる女装詩の誕生だった。

ベアリーヌ・ド・ピンクの女装詩は、自ら詩と言いながらも単なるメッセージでしかなく、ある意味では広告コピーに近いものだと僕は思ってる。そして、 そのパフォーマンスは、聴衆や状況によってはポエトリー・リーディングのパロディの構造を持つ。たとえば詩という表現形態にある種の先入観や偏見を持っている人に対してはドラァグクィーンの何か面白そうなショーのネタと思い込ませることで“聞いてもらう関係性”を作るわけだ。詩に対する興味の無い人間に対しては最後までポエトリー・リーディングではなくショーでしかない。しかし、僕にとって重要なことはメッセージを伝えることであって詩としての評価を得ることじゃないから、どちらに解釈されても全く問題じゃない。

それに聴衆の受け止め方もさまざま。光栄なことに拙い僕のパフォーマンスを“アート”と評価してくれる人や感動してスポンジ製の偽巨乳に顔をうずめて泣いてくれた人もいる。最後までキワモノとして楽しんだり、しらけたまま帰っていく人もいる。

最初の頃は上手く伝わるかドキドキしてたものだが、最近ではそれが伝達であれ、表現であれ、すべての人にすべてを伝える事ができるなんて考えは表現者の傲慢でしかないと開き直れるようになってきた。それでも、凝りもせずに女装詩を読み続けるのはそれなりに、ほどほどに手ごたえがあるからなんだ。自分が実存を賭けて読めば、限られた人でも誰かの実存に働きかけ思いを伝えることは確実にできる、と僕は信じている。

HIVの啓発活動は、もともと単なるお楽しみの場所で「HIVやエイズの事なんか聞きたくもない人」に向けて予防メッセージを発する「嫌がらせ」 のような行為だ。そのためには少しでも楽しくショーアップするのが礼儀だろうと僕は考えている。そして、嘘くさい他人事の「コトバ」を並べ立てたところでお説教くさくなるだけで、まったく説得力を持たない。だから僕は僕と言う存在をありったけの力で体ごと聴衆にぶつけて、つまりHIVの存在が遠い世界の出来事ではないというリアリティを生身の体験として「コトバ」にすることにした。その「コトバ」を自分の体で伝えることでHIVの現実を感じてもらいたいと思った。そのついでに僕の「コトバ」やパフォーマンスに詩を感じてもらえるなら、かつて詩人に憧れた僕としては、それはそれで嬉しい。

僕がメッセージのための「コトバ」を考えるとき、脳ミソの中にある“詩的なイメージ”や“耳ざわりの良い言葉”を書き連ねても伝えたいことは伝わらなくなってしまう。それは詩を目指してコトバを紡ぐ場合も同じかもしれない。どこかで見た“詩のようなもの”はどこかで聞いた“もっともらしい「コトバ」”で埋め尽くされている。たとえば若い頃の僕が詩人を目指して紡いだ「コトバ」がそうだったように。

伝えたいものがメッセージであれ、イメージであれ、自分の体の中から出てこない「コトバ」は伝える力を持てない。また、どんなに技術を訓練されたアナウンサーや役者がその「コトバ」を自分のものにすることなく上手に読んだとしても伝えるべきものが半分も伝わらないことがある。それは声にする「コトバ」にも生身の思いが大切だからではないかと僕は思う。

それほどに表現の道具としてのコトバは“官能的”なものだ。

思想や理念もまた「コトバ」によって表現されるのだが、あまりに観念的にとらえると意味の迷路に迷い込んでしまい「コトバ」から身体感覚が奪われていく。論理や概念は観念的な意味を理解することで学習できるが、詩を感じるには自分の身体感覚を見つめ「コトバ」に反応する官能を研ぎ澄ますことのほうがずっと大切だ。

もちろん判りやすいことは罪ではない。世の中には横丁三回まわると気付く真実もあり、それを表現する詩人がいてもかまわない(そうそう、色紙に人生訓みたいな「コトバ」を書いてる人たちね)。

これをエイズの文脈に当てはめるならば「コンドームがエイズの予防には有効です」とか「エイズに対する偏見・差別をなくしましょう」という官製メッセージがそれに近いのかもしれない。こんなモンで予防が出来ればとっくにこの世の中からHIVの問題は消えているはずだよね。最近の疫学研究の中で「知識だけでは性行動をより安全なものに変容させることができない」ことがさかんに言われ始めた。それは当然のことで、身体感覚として実感できない「コトバ」で誰がHIVやエイズの現実に思いを巡らせ、自分の習慣や考えを変える事ができる?

そんなわけで、これからもベアリーヌ・ド・ピンクは伝わる「コトバ」を探しつつ、嫌がらせの女装詩を読みにでしゃばっていくのだ。



長谷川博史/ベアリーヌ・ド・ピンク

雑誌編集者。エイズ活動家。1992年HIV感染を知り、1993年から患者会活動、講演活動を開始。予防活動の中でベアリーヌ・ド・ピンクの名でドラァグクィーンとして活動を開始する。同年11月よりゲイ雑誌「バディ」創刊企画プロデュース。1995年ゲイ雑誌「ジーメン」創刊、編集長に就任。 1996年メディアにおいてHIV感染を公表。2002年、日本のHIV陽性者ネットワークジャンププラス(JaNP+:Japanese Network of People living with HIV/AIDS)を立ち上げ現在その代表を務める。
http://www.janpplus.jp/


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